一般財団法人 招鶴亭文庫|所蔵資料紹介

「売仕切」

招鶴亭文庫が所蔵する文書には、流通に関わる史料が多く残されています。中野又左衛門は船を所持しており、その船が製品の酒・酢やその原料である米や、桶樽などを輸送しました。船は中野又左衛門に直接関係しない荷物も運びました。

今回紹介する史料は、平坂(西尾市)の雑穀問屋である石川小右衛門から富士宮丸の船頭為吉に宛てた「売仕切」です。「売仕切」とは、問屋が荷主に宛てて出した品目・数量・代金・諸手数料を明記した計算書です。作成された「丑十月」は、古文書が綴られている状況から考えて、1817年(文化14年)10月と思われます。

「売仕切」

▲ 売仕切

扱っている荷物は大豆であり、味噌や溜の原料などに用いられました。石川小右衛門は、岡崎八丁の味噌屋早川久右衛門にも大豆を販売している問屋です。

史料中の大豆は、新上州大豆、八戸大豆、青柳大豆です。それぞれ生産された地域が異なります。新上州大豆は群馬県、八戸大豆は青森県八戸、青柳大豆は千葉県市原あたりのものと考えられます。

新上州大豆は47俵、目減り分などを差し引き、容積に換算すると18石3斗1升8合です。1石は1升瓶100本分と同じ容量です。代金は金14両1歩と銀10匁4分1厘です。八戸大豆100俵は48石8斗4升8合、青柳大豆20俵は7石6斗7升で合計56石5斗1升8合となり、代金が金44両と銀9匁2分8厘です。金1両で購入できる大豆の量は、新上州大豆は1石2斗7升、他の大豆は1石2斗8升でした。つまり新上州大豆の方がほかの2種の大豆と比べて、1両につき1升ほど高いことがわかります。

代金の総計は金58両2歩と銀4匁6分9厘です。そこから「口銭」(手数料)や「しよ」(諸経費)、「川役」(川の使用料)が差し引かれ、金57両3歩と銀5匁4分2厘となります。これがこの取引において石川小右衛門が為吉に支払う金額です。

史料中に「右之通代金銀不残目録ニ入此表無出入相済申候」とあるのは、この取引だけで代金決済を行うのではなく、ほかの取引と合わせて決済することを意味します。まとめて決済する取引の代金などを計算した仕切目録がこのあと作成され、代金が決済され取引が完了します。

江戸には関東・東北方面から多くの大豆が集積され、伊勢湾・上方方面へは、毎年90万俵ほどの大豆が出荷されました。江戸のほか神奈川湊や浦賀湊(神奈川県横須賀市)からの出荷もあり、関東からは100万俵以上の大豆が出荷されたと思われます。とくに味噌・溜醸造業がさかんな尾張・三河地域は、大豆の消費が見込める場所でした。

■ この画面をプリント