半田を含む知多半島地域は、江戸時代から日本有数の酒造地域であり、現在、この地域で盛んに醸造されている食酢は、酒造業が生み出す酒粕から考案されたものであります。
ところで、この食酢醸造業を約200年にわたって営んできた中埜家(ミツカングループの創業家)には、食酢醸造業その他の事業に関わる帳簿や書状、地域のなりたちや暮らしぶりがわかる記録など、総計17万点余りの文書が残されており、食酢の製造・流通を始めとして、酒造業、銀行業、酪農業など財貨・サービスの生産・分配・消費といった経済活動や、衣食住の文化に関わる貴重な記録となっています。
これまでにそのごく一部が研究されてきましたが、既にその研究成果は『半田市誌』(昭和46年11月発行)や、『新修半田市誌』(平成元年11月発行)に利用されるなど、地域の経済史や文化史の解明に貢献しています。
本財団の設立(平成20年1月)によって、中埜家文書の寄贈を受けることに加え、江戸時代以降の半田を含む知多半島地域の経済史や文化史の解明に繋がる様々な資料について、より広くかつ継続的に収集し、地域の歴史的な財産として永続的に保存していくとともに、資料の学術的な調査・研究を深めていきます。そして、資料、研究成果の公表を通じて、地域の学術文化の更なる向上、発展に寄与していきたいと考えています。
なお、本財団の名称にある「招鶴亭」とは、3代目中野又左衛門(4代目より中埜に変更)が1855年(安政2年)本宅を現在の地に移した際の邸号で、その屋敷が、鶴の羽を広げているように見えることに由来しています。また、当時は、中埜家主人が招鶴亭主人とも称され、これが広く知られていた記録も残されております。本財団における調査・研究対象の基礎が、中埜家から寄贈された文書となることからも、本財団名として「招鶴亭文庫」という名称がふさわしいと考えたものです。
※ 平成25年(2013)年10月1日、当財団は一般財団法人へ移行しました。